法曹世界の珍道中 第1章 検察官の世界
2024/11/29
1 検察官への任官
試験で頭に血が上り,文字が書けなくなったことはあるだろうか。司法試験の最後の受験がそうだった。憲法の答案などは,右手が動かないので左手で右手の手首をつかみ文字を書いた。五頁以上は書くのが普通なのに二頁半くらいしか書けていない。もちろん落ちたと思った。
合格発表は見に行かずに大学の図書室で机に突っ伏して寝ていた。すると,一緒に受験したTが私の肩を叩いた。「合格してましたよ」というので,Tのことかと思ったら,私のことだと言う。信じられなかったので自分で夜中に法務省まで見に行ったら,確かに私の番号があった。何かの間違いではないか。これは,今でも夢に見る疑問である。
合格はしたものの,成績は芳しくないと思った。裁判官任官は無理だろうと思ったが,ダメ元で「裁判官志望」と書いた。検事は被疑者を調べる自信がないし,弁護士も人付き合いが下手だから向いてないと思ったからである。
湯島の司法研修所では,民事裁判教官のI先生が「要件事実の鬼」と言われた切れ者だった。私は,授業では,この人に自分が考えた議論はどしどしぶつけていった。こういうチャンスは生涯二度と来ないかもしれないと思ったからだ。
研修所を出て実務修習に入ったころ,エリートの噂の高い検察教官H先生から分厚い手紙をもらった。検察官にならないかというお誘いの手紙だ。人違いではないかと思うような褒め言葉があれこれ書いてある。私は,誤解だろうと思ったが,裁判教官からは何も言われていないので,どうせ裁判官は駄目なんだろう。これだけ誘ってくれるなら,そっちに行ってみるかと思い,承諾の返事を送る。同期からは,「大沼君は優しいから検事には向かない。止めた方がいい。」と言われたのに,甘い言葉に乗りやすいのは悪い癖だ。
その数日後,I先生から私に電話があった。「大沼君,君と同期のT君をどう思う。裁判官に向いていると思うかね。向いてないと思うので君からそれとなく伝えてくれないか。」と言う。何故,私にこんな依頼をするのか,私にこんなことを頼むのは,私が裁判官任官は大丈夫だから(つまり裁判官に推薦してもらえるから)か,しかし,既に志望を検察官任官に変えてしまっている。頭がごちゃごちゃになり,血が上った。「いえ,あの私は,H先生から誘われ,検察官志望に変えてしまったのですが」としどろもどろで答えた。I先生は,むっとしたように「ああそう,それなら別の人に頼むわ」と言い,電話が切れた。
2 被疑者との戦い
東京地検の世界は想像を超えた異世界だった。新人の検事には検察事務官が二人に一人しかつかない。私は,覚醒剤を譲り渡した疑いのある組長を呼び,「あんた,覚醒剤をAに売っただろう。」と尋問した。この人達には,あなたでは甘くみられる,君と呼ぶと怒り出す。あんたがちょうどいい。しかし,この組長は,尋問の途中で怒り出し,「何を言ってやがるんだ,若造!」と大声で怒鳴り,バン!と机を叩き出す。
先輩の検事は,怒鳴り声が廊下に響き渡る人も多い。しかし,被疑者の怒鳴り声が響くというのは私の部屋くらいだろう。
まだ,私には,刑務所を行ったり来たりしているヤクザの組長を自白させられる力はなかった。この人達に理屈は通用しない。何を言われたかではなく,誰に言われたかが重要なのだ。この組長は,私のような,いかにも成り立てで,長髪の若い検事に調べられていること自体が不愉快なのだ。
私は,自白をとるのは諦めて,否認調書を作成し,間違いがないかどうか,読み上げた。すると,譲渡してないのはそのとおりだが,理由が違うと言う。聞いたとおりだとは思ったが,まあいいかと思い,万年筆で二重線を引き,言うとおりに書いて「これでいいか」と聞いた。すると,「駄目だ」と言う。最初にこう言ったのを後で訂正したように思われる。全部書き直せ言う。完全に舐められている。
思うに,検事の世界で大きな顔ができるのは,「割屋」である。自白のとれる検事である。自白をとれると難しい事件でも簡単な事件に変わる。舐められる検事は自白がとりにくい。簡単な事件が難しくなり,処理に手間がかかる。
憧れていた先輩がいた。「割屋」の天才,Y検事である。厚ぼったい唇,鋭い眼光のこの人に,「どうしたら自白がとれるんですか」と聞いてみた。彼は机の上には分厚い記録が置いてこう言った。「まず大事なのは,この記録を被疑者の前では絶対に開かないことだ」と言う。被疑者が検事の前に座ったら,この記録には一切触らない。扇子でバタバタ煽(あお)ぎながら,「おい,分かってるな」という。細かいことを次々と確認し,「このとおりだな」と聞く。これで終わりだそうである。煽いでいる扇子に何が書いてあるかって?もちろん「人権尊重」と書いてある。
被疑者が自白するかどうかは,検事の方が自分より強いか弱いか,自白した方が得か損かで決まる。理屈が通じるケースは多くはない。調べとは,そういう連中との戦いなのだ。
3 鬼の決裁官
検察は軍隊に似ている決裁組織である。検事は建前としては独任官だが,現実には上肢の決裁が通らないと何もできない。私の直属の上司はK副部長ある。禿げ上がった額,鋭い眼光,どちらかといえば無口である。会議では,眠狂四郎と言われるほど,眼を閉じている時間が多い。しかし,一端口を開くと,凄いことを言う,そんなタイプである。後に検事総長にまでなった切れ者だ。
新米検事の私には,近づきがたいオーラがある。いつも右肩を上げ,眼鏡に手をやりながら記録を見ている。とても二メートル以内には近づけない。私は,三メートル離れ,気付いてくれるのをひたすら待つ。一五分位したであろうか。眼鏡をずらし,ものすごい眼光でこちらを睨む。蛇に睨まれた蛙とはこういうことをいうのであろう。心臓が破裂しそうになる。「いつからそこに立っているんだ!」と怒鳴られる。言葉につまると「黙っていたらわからんじゃないか!」とまた怒鳴られる。おそるおそる近づいて「この前配点していただいた事件ですが」と言うと,「被疑者は誰ですか」「満期はいつですか」「罪名は何ですか」「自白していますか」「争点はなんですか」と矢継ぎ早に大声で聞かれる。いつもなら答えられる質問にも,頭が真っ白になり答えられない。
同じ決裁でも,先輩検事のときはそんなに厳しくはない。ニコニコしながら決裁しているときもある。しかし,新任検事は,被疑者と同じ扱いになる。
K副部長は,お酒が好きだ。夜になると銀座に繰り出し,つけで飲んでくる。給料日になるとママが副部長室にきて債権回収をする。私も,何回か行きつけの銀座に店に連れて行かれた。酔ってくると,特捜時代の武勇伝の話が出る。調べられていた高級官僚が,怒鳴られる度,一メートルずつ,席を後ろにずらし,最後には,窓際までずらしてしまった話などは十八番(おはこ)である。日頃,被疑者と同様の立場にいる私には,その高級官僚の気持ちが実によく分かる。
4 女性との出会いと結婚
昼のストレス解消と夕食のため、夜は上野のスナックに通うようになった。美人のママと和解ホステスが2人のカラオケスナックである。毎日通っているうちに、ママに気に入られ、1000円しか払っていないのに、ごはんとおかずが3,4品出てくるようになった。毎日通っていると、ホステスの1人が隣に座り、「私をもらってくれない?仙台に色々土地を持っているんですよね。」と言う。つきあってもいないのに真顔で結婚したいというのだ。しかし、どうみても財産目当てに聞こえたので丁重にお断りした。私としては、どうせならもう1人の美人のホステスとつきあってみたいと思ったのでママに相談してみた。するとママは「あの娘は性格が悪いからやめた方がいい」と強く言われたので諦めた。
休みに仙台に帰ると、父から「できれば郷里の嫁さんにして欲しい。嫁さんの実家が郷里なら盆・正月に帰ってこないことはないだろう」と言って、翌日の午前、午後と翌々日の午前の見合いを用意してくれていた。父の退職時期が近いので、退職祝いと私の結婚式を同時に開きたいつもりらしい。私は、2番目に会った女性が気に入った。気立てが良いし、何より賢い。神様が私に選んでくれた女性だと感じた。3日連続して会ってプロポーズをした。1週間後の答えは「宜しくお願いします。」であった。そのときに母は結婚式場の予約を済ませていた。18回目の見合いであった。私の職場関係、父の職場関係など多数の参加者による盛大な結婚式を開いた。父が満足そうであったことが嬉しかった。
5 ガス季
検察官の世界は,軍隊のようなピラミッド型の組織の社会だ。雰囲気としては出世競争の社会である。とにかく,人の人事の話が大好きだ。異動時期になると,今度あいつがどこに行った,あいつが部長になった,次席になったなどという話で酒の席は姦しい。異動情報を一覧表にしたものも内緒で出回る。中には,「八戸支部へ異動という内容に激怒,辞めると口走る」などというメモが書き込まれていて,生々しい。
私は,東京地検で新任検事を終えた後,釧路地検に異動となった。あのK副部長ですら若いときにそういう異動だったらしいから文句はいえない。異動後知ったのだが,釧路には,季節が三季しかない。秋季に冬季にガス季である。
ガス季とは,五月から九月にかけての海霧の季節である。霧は上から降ってくるという常識が釧路では通用しない。下から上に登ってくるのである。ガス季に海を見ていると,白い物が静かに押し寄せてくる。海霧である。まず足元が霧で覆われ,しずかに上まで登ってくる。霧で街が覆われると,自動車を運転していても前が見えなくなる。運転席から顔を出し,クラクションを鳴らしながら前進する。
官舎でも,ガス季には対策が必要である。押し入れに簀の子を敷,布団は絶対に壁に付けてはいけない,押し入れの扉を閉めてもいけない。内地からやってきた副検事の奥さんが,タンスいっぱいに入っていた着物を全部駄目にしたことがあった。タンスを壁に付けてしまったため,毛管現象でタンスの中に海霧の水分が侵入したためだ。
また、単身で大阪から来た次席検事は、秋、くみ取り式のトイレをくみ取っておかなかったために、トイレの汚物が凍り、一冬の間、トイレが使えなくなった。
宿直当番という制度があり、当番の職員は基本的に暇である。私が帰ろうとすると当番の職員に手招きされた。一緒に宿直室で飲まないかという誘いである。妻が妊娠し、仙台に帰っていたこともあり、お付き合いをすることになった。だいぶ飲んでトイレに立ったことまでは覚えている。「検事!検事!」という大きな声に気づき目を開けると、天井が見えた。トイレで倒れたらしい。ふらふらしながら帰宅したが、翌日登庁すると、会計課長からお叱りを受けた。「今回のことは不問に付しますが、気をつけてください。」とのことだった。何でも、トイレの手洗い場にあった分厚い鏡が割れ、散乱したらしい。私が倒れていたのは、その衝撃が原因のようだ。手を洗っているとき、意識がもうろうとし、頭が鏡を直撃し、粉砕したらしい。頭はどこもけがはない。思わずぞっとした。
選挙犯罪の応援のため北見に行った。北見は内陸部なので釧路より寒い。ストーブをつけないでお湯を枕元に置いておくと翌朝には氷になっていた。仕事が終わって釧路に帰る途上、道路は圧雪状態だった。つるつるに滑る。私は父から譲られた中古のカローラで走っていたが、法定速度をオーバーしていたにもかかわらず、私の後ろには車が行列をなした。この当たりではもっと速度を上げるのが常識らしい。しかし、それでなくても不安定な走りの車でそんな度胸は出ない。
すると、後ろからクラクションを聞こえた。運転席側のサイドミラーを見ると、大型トレーラーが対向車線にはみ出しており、私と同じ車線に戻ろうとしては戻れず、クラクションを鳴らすことを繰り返していた。対向車線を見ると大型トラックがやってくる。このままでは大事故が起きる。私は、ブレーキを踏んだら車がどうなるかわからない状態であったので、ギアを下げ、エンジンブレーキで速度を落とした。大型トレーラーはクラクションを盛大に鳴らしながら私の車の前に入ろうとした。しかし、あまりに大型なので入り切れそうにない。私は、ハンドルを切り左側の田んぼに転落するか、ブレーキを思い切り踏むか、どちらにせよ事故を覚悟した。すると、大型トレーラーは何を思ったのか、突然、ハンドルを右に切り、対向車線に戻った。トレーラーの助手席角が対向車線の大型トラックの運転席にぶつかり、のめり込むのが見えた。その後、トレーラーのコーブがブーンと振り子のように私の車の車線に入り、進路を遮った。私は、映画のシーンようだと思いながら、必死で力一杯ブレーキを踏んだ。私の車は2回転半回り、かろうじてぎりぎりで衝突を免れた。奇跡であった。私は、帰り道、急に恐怖心に襲われ、対向車側の田んぼに自動車を突っ込み、大型トラックに引き上げてもらった。
仏壇屋専門の詐欺師もいた。仏壇を買うと嘘をつき,寸借詐欺をする。騙すつもりがあったかどうかが問題だが,あったとはなかなか言わない。後で返すつもりだったとあれこれ弁解する。苦労して自白させて,起訴をしたが,執行猶予がついた。判決の後,神妙な顔つきで私の部屋にやってくる。どうしたのかと思うと,検事さんから色々言われて自分が馬鹿だったことに心底気付きました。田舎に帰って一から出直したい,ついては,田舎までの旅費がないので,少し貸してくれませんかと言う。
一瞬貸そうかとも思ったが,常習詐欺を起訴した検事が騙されて詐欺に遭うのは漫画の世界であろう。ここでも被疑者に舐められている。
また「マン抜け事件」という恐喝未遂事件があった。中古自動車のチラシに「113万円」のところを「113円」など、載せていた全ての自動車の販売価格に「万」が抜けていた。これに目を付けた男が、その中古自動車屋に行き、チラシに載っている車を全部売れ、チラシの値段で売れと迫った事件である。写真家、プロデューサー、北方領土返還運動の活動家など7枚のの名刺を持っていた。何とか起訴し、実刑判決をもらったが求刑のちょうど半分になった。半分以下になると控訴するにしても札幌高検に行って了承をもらってくる必要がある。高検に行くとき、次席検事から「了承がもらえないときは帰ってこなくていいから」と脅された。高検では、元特捜部の副部長と言われる凄腕の検事に容赦なく厳しい指摘を受けたが、何とか了承をしてもらい、安堵した。
検察の世界にようやく慣れたころ,検事正から「訟務検事にならないか,東京法務局の訟務検事になれば,その後東京地検に戻れることになる。」という話をされた。訟務検事とは何か,皆目見当がつかなかったので,Y検事に聞いてみた。Y検事の話では,「訟務は,酒池肉林の世界」らしい。民事事件の起案をすることになるそうだが,訟務官というベテランのスタッフがいて,起案を用意してくれるから目くら判を押していればいい,夜は行政庁が接待してくれるから酒を飲んでいればいい,訟務に行って仕事が出来なくなって帰ってくる検事が多いから気をつけろよ,とアドバイスしてくれた。
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