法曹世界の珍道中 第2章 訟務検事の世界
2024/11/29
1 訟務の心得
訟務検事は,検事出身と裁判官出身者とがほぼ半数ずついる。その他に,法務局出身の訟務官,訟務専門官がいる。しかし,彼らは,Y検事のいうような訟務のベテランではない。訟務検事同様,三,四年訟務にいて,また古巣に帰るという人事ローテーションを繰り返しているだけである。生粋の訟務出身者などいない。よそから来て,数年で古巣に帰っているだけであり,いわば「外人部隊」の集まりなのである。
かつては違ったらしい。一般の検事とは別に,訟務だけを担当する検事として任用していた時期もあったそうである。しかし,弊害があることが分かり,今のような外人部隊だけの集まりにしたとのことである。
どんな弊害があったのか?私は前任者のH検事から引き継いだ記録を読みながら薄々察しがついた。民事の裁判所に出す書面は大半が準備書面である。要は,主張を書面にまとめたものである。この準備書面が前任者の場合,極めて薄い。一枚目は,多数の代理人の名前などの記載があるもので主張はほとんど書いてない。二枚目から主張に入るのだが,三枚目の中程か,下手すると二枚目で主張が終わっている。どの書面をみてもそうなので,どんな事件なのかがさっぱり分からない。
後任者の私が読んでも分からないのなら,裁判所もそうではないかと思い,私の目の前に座っていたS検事に聞いてみた。彼は,裁判官出身で,身なりもきちんとしており,いかにも頭が切れそうな眼をしている。彼は後に訟務局長になった人だ。「裁判所も何を言ってるのか分からないから,もっと詳しい書面を書くようになんども促している。しかし,何度言っても,薄いペラペラの書面しか書かないのがHさんの流儀なんだ。彼は,初めから訟務検事として任用された人で,昔からその流儀らしい。」と教えてくれた。私は,「そんなやり方をしてるんじゃ,勝つべき事件も負けてしまいませんか?」と聞き返す。すると,S検事はにんまりしながら,「ところがそうでもないんだね。彼は宝蔵院流槍(そう)術(じゆつ)の達人でね。その奥義は,誘いの隙を見せながら何もしないで待つ。相手はじれて,我慢できずにその隙に乗る。そこを槍で突くんだ。」と言う。訟務の事件の場合,証拠のほとんどは訟務側が持っている。どんな先例があるか,どんな根拠に基づいたのかなどの資料も訟務側が把握しており,原告側には情報がない。そんな状態で訟務側がほとんど主張をしなかったら,裁判所もどんな事件か分からないが,原告もさっぱり分からない。じれてしまい,よく分からないまま間違った主張をする。そこを突くのだという。
なるほど,そういう勝ち方もあるかもしれないが,おそらく裁判所の信頼は得られないだろう。勝ち負けが微妙だが,国にとって重要な事件で裁判所の信頼を得られず,勝つべき事件が負けてしまうことがあるかもしれない。ほんの一例だが,訟務しか担当しない検事の弊害とは,こんなことを言うのかもしれないと思った。
訟務に行って間もなく,お花見があった。千鳥ヶ淵の染井吉野の下にシートを敷き,酒盛りをする。今が桜が満開か七分咲きかで皆の意見が分かれた。酔っているせいもあり,満開派と七分咲き派の議論は尽きそうもない。その時,S検事が立ち上がり,「こういう時は数えてみるのが一番だよ」と言って,大きな枝に咲いている花の数を数え始めた。ひとしきり数え終わると,「七分咲きだね」と言う。そういうことかと誰も反論しなかった。私も面倒がらず数えることが大事なのだな,という教訓にした。
しかし,二次会の飲み屋でS検事からこう言われた。「数えるのも大事だけど,問題はどこを数えるかだよ。僕は,自分に有利な場所を数えた。不利な場所を数えての反論がないと,僕の方が勝つ。裁判も同じことだよ。」
裁判とはそうやって勝つんだということを花見の席で教わった。
2 沈み行く船
訟務では,検察国賠を主に担当した。検察国賠の典型は検察官が起訴した事件が無罪となり,その起訴が違法だとして損害賠償を請求するケースだ。私は,検察庁時代,検察の仕事の重要性は国民が分かってくれていると信じていた。しかし,検察国賠を担当しているとそうでもないことが分かってくる。裁判官出身の訟務検事の幾人かは,検察官は信用できない,国民から信頼されているなどというのはファンタジーだと言う。
検察庁の人気というのは時代によって異なる。ロッキード事件のときなどはかなりの人気だったと聞く。しかし,私の同期は,検察官任官者が極端に少ない。長髪の見た目は勿論,性格的にも検察官に向いていないとしか見えない私に,検察教官が検察任官を強く勧めたのはそんな時代だったからだ。
何が原因か分からないが,私が尊敬していた検事の先輩が次々と辞め始めた。あの「割屋」で鳴らしたY検事さえ,政治家になると言って突然検事を辞めた。その他優秀だと思っていた先輩達が次々と辞めていった。中には,「今辞めないと俺が優秀じゃないからだと思われそうだから辞める」,と言って辞めた先輩もいる。理解不能である。検察は沈み行く船に見える。船が沈む前,ネズミが次々と逃げ出す様に似ている。
私は,自分が検事として優秀だと思ったことはないので,辞めようとは思えなかった。沈み行く船にも自分で泳げない弱者はしがみつくしかない。とりあえず目の前にある検察国賠の仕事に集中した。爆弾事件などは記録が百冊以上もある。ともかく,被疑者を調べるよりは,準備書面を書く方が私に向いているようだ。
5時以降になると大部屋の会議室で飲み会が始まるのが恒例だった。当時のH副部長は大のお酒好きで、私が仕事をしていると、「大沼君、大沼君、みんな君のこと呼んでるよ」と言う。私が「明日副部長にあげなければならない準備書面を書いているんですが」と断ろうとすると、「明日の準備書面、明日書けばいいよ」と言い、強引に飲み会の輪に連れて行く。しかし飲み会は一次会で収まらない、2次会に行き、ラーメン屋に寄り、副部長と2人でタクシーに乗ったのでようやく帰れると思ったら、「もう一件行こう」と言って、別の店で飲み直す、山手線に乗ったまでは覚えているが、その1時間後、官舎に向かう途中の神社で寝ているのに気づいた。ハッと思って持ち物を確かめると、鞄がない。そこには1ヶ月分の給料と判例評釈の原稿が入っていた。駅に戻っても届いていないというので、翌日忘れ物センターに電話したが、それらしきものはないとのことである。本当に不覚であった。家内に平謝りに謝ると、笑って許してくれた。1ヶ月分の給料は家計にとって手痛いのに。以来、家内には頭が上がらなくなった。
3 違法限定説
私が書いた準備書面は法務局の副部長,部長の決裁を経た後,法務本省に回られる。本省の検察国賠の担当は検察出身のK参事官である。その後,本省の課長が眼を通す。
ある日,K参事官から私に電話があった。検察国賠でも「違法限定説」を主張したいのでそのつもりでいて欲しいとのことであった。「違法限定説」とは,裁判国賠,つまり裁判官の裁判が違法だとして損害賠償を請求された訴訟についての違法性判断についての説であり,違法不当な目的をもって裁判をした場合などでなければ違法ではないというものである。裁判官が違法不当な目的をもって裁判をするなどということがありえるのだろうか。また,仮にあったとしても,そんなことを立証できるのであろうか。現実には不可能である。したがって,裁判官の裁判が違法となることはない。K参事官は,その説を検察国賠にも適用すべきだというのである。
私は,検察出身であるから,検察官の起訴が違法となることはない,という夢のような説は魅力的である。特に私は,検察国賠担当なので,そのような見解を裁判所に採用させることができれば,私のお手柄になるかもしれない。これは出世のチャンスかもしれない,などという邪心がわく。一方で,今の検察国賠を担当して感じる雰囲気からして,そんな説が採用されるとは信じられないように思えた。
そこで,法務局にいる裁判官出身の訟務検事達に次々と意見を聞いてみた。S検事を含め,聞いた一〇名ほどの訟務検事は,「違法限定説なんて,裁判官の場合も行き過ぎだ。ましてや検察官の起訴にそんな説が採用されることはない。裁判所はもちろんのこと,この訟務の中ですら通用しない。」と力説した。
私は,この訟務の中ですら通用しない説を主張しても無意味だと確信し,K参事官に「検討しましたが,無理です。私は,現在のままの職務行為基準説でいくしかないと思います。」と伝えた。これがK参事官の逆鱗に触れたらしい。
私がある検察国賠の事件で準備書面を書き,副部長,部長の決裁を経て本省に送った。すると,本省のO課長から,電話で,「大沼君が書いた準備書面が本省に上がってきていないけど,どうしたのか。」と照会があった。私は,「副部長,部長の決裁を受けて本省に回しましたが」と答えた。O課長に準備書面が回らなかった原因はすぐに分かった。私の準備書面を読んで,違法限定説を主張していないことに激怒したK参事官が破ってゴミ箱に捨てたらしい。
私は,三年で東京法務局を離れ,東京地方検察庁に異動するものと聞かされ,そう思っていた。
ところが,検察国賠で次々と大きな事件が起きていたことから,四年いることになった。そして,その後言われたのは,本省への異動であった。私にとっては栄転である。しかし,問題があった。本省でK参事官の元,検察国賠を担当せよとのことであった。
4 失敗の責任
本省でK参事官に挨拶をすると,参事官はニコニコしながら手を握ってきた。「これまで色々あったけど,これからは一緒に頑張ろう。検察国賠で違法限定説を本省で主張してくれないか」と言う。そのために私を栄転させたらしい。私は,しばし沈黙して,「それは無理です。訟務でも決裁が通りませんから。」と答えた。その途端,参事官の目つきが怒り色に変わった。そして,口をきかなくなった。
毎日挨拶をしても,参事官は,無視し,口をきかなかった。やがて,本省で検察国賠の準備書面を作成することになり,いつものように「職務行為基準説」で書いてK参事官に提出した。その内容について協議をし,手直しをするのが通例である。ところが,参事官からは何の音沙汰もない。提出から二週間たったころ,私は,参事官に,「この前の起案はどうなりましたか?」と尋ねた。すると,参事官は,「テニオハだけ直して課長にあげておいたよ」と言う。何も問題がなかったというのだ。
K参事官の言葉が嘘だということが間もなく分かった。参事官が,「俺の面目が台無しじゃないか」と愚痴を言い出したからだ。どうやら,参事官は,私の起案のうち,「職務行為基準説」の部分を「違法限定説」に書き直し,刑事局の決裁に回したらしい。法務省の中で刑事局は最も大きな部局である。刑事局長は,格付け的にも訟務局長より上である。その刑事局長が決裁した準備書面を訟務局が手直しするということはこれまでなかったらしい。
ところがである。そのときいたO課長は,骨のある課長であり,刑事局長の判子が押してある起案に徹底的に手を入れ,「違法限定説」の部分を私が書いた「職務行為基準説」に戻してしまったらしい。確かに,それではK参事官の面目は丸つぶれである。私は,だからいわんこっちゃないという思いであった。
失敗の責任は誰かがとらねばならない。直接の責任をとるのは上司ではない。失敗の責任は,上司の言うことをきかずに,自説を曲げずに準備書面を書いた私にある,ということになった。K参事官は,益々口をきいてくれなくなった。私が見なければならない書類も私が席を外した時に私をパスして回されるようになった。部下も私を無視するようになり,私は課長から何か質問されても何のことか分からず,局付検事として機能しなくなった。
極度のストレスから,私は,電気けいれん療法を受けることにした。頭に電気を通してストレスを解消するという療法である。鬱の人が自殺を防止するのに効くという。受けると頭の中に火花が走った。検事を辞めたいと真剣に思った。
5 「提灯行列説」
本省に来て二年目,私は,民事訟務課から行政訟務二課に異動になった。検察国賠担当検事はクビになったのだ。これからは労災担当だ。先輩の局付検事は東大出身のI検事,課長は京大出身のS課長だ。二人ともエリートだが,人柄が良い。私は,本省に行くのが楽しく,快適になった。
当時は,事故と業務とに因果関係があるかについて,裁判例が揺れていた。労働者災害補償保険法の解釈の問題だ。解釈をつきつめるには立法資料を調べる必要がある。そこで,労働省の役人に立法資料を持って来て欲しいと依頼した。何回か依頼したが,適当なものが見当たらないの一点ばりである。戦後間もなくの混乱期に出来た法律なのでやむを得ないのかもしれないと思いつつ,本当にそうなのか自分の眼で確かめてみたいと考えた。そこで,労働省の倉庫に行かせてもらい,関連する資料を選び送ってもらった。自分の席の横に積み上げると段ボール一二箱になった。確かに立法趣旨について明確に記載した資料はない。しかし,立法時にどういう議論がなされたかは推測ができた。いわゆる職業病として典型的なものを挙げ,それに準じるものについて法律の保護を与えようとする発想のようだ。つまり,因果関係があるもののうち,一定のものに保護の範囲を限定しようとする発想だ。
私は,これは刑法の相当因果関係説の発想に似ているように思えた。刑法では,因果関係のあるもののうち,相当因果関係のあるものについてのみ責任を負うという考え方が通説である。民事でも同様の考え方が可能ではないか。
S課長は,民事では,相当因果関係による絞り込みは通常は行っていないと言いながらも,作成中の労災保険補償法の手引きでそのような見解をとることを認めてくれた。手引き中,因果関係の部分を私に担当させてもらえたのは嬉しかった。別の訟務の雑誌に論文も書かせてもらえた。I検事は私の説を「提灯行列説」と命名した。もちろんI検事流のジョークであるが,分かりやすい。
私の提灯行列説は,その後約一〇年間,訟務の説として主張された。最終的には最高裁判所が採用しなかったが,それまでは有力な説とされた。
6 左遷
私は,手引きが完成したタイミングで休暇をとり,家族で札幌に旅行に出かけた。仕事に熱中して家族サービスが出来ないでいた妻に対するせめてもの償いであった。札幌旅行を満喫し,東京に帰ってきたところ,局長から呼び出された。
局長室に行くと,I局長は難しい顔をして私を見た。「大沼君。君は検察国賠を担当するために本省に来たんだよね。」と言う。「しかし,今,検察国賠を担当していない。検察にとって,局付のポストは重要なんだ。君が検察国賠をやらない以上,本省にいてもらうわけにはいかない。」と言って,立ち上がり,私の肩を叩いた。「君には札幌に行ってもらう。地方から攻め上って来い!」
左遷である。左遷の理由をこれだけはっきり告げられての左遷は珍しいのではなかろうか。S課長にそのことを話すと,「なんでこのタイミングで君が札幌なんだ。」と不快そうに言ってくれた。
色々な先輩に,慰められた。K検事からは,「君を水俣病の担当にしておくんだった。」と言ってもらえた。水俣病は本省でも大きな訴訟でなので,チームに入れてもらえれば簡単には辞めさせられないという意味である。嬉しかった。
私は,この左遷は検察から睨まれたからであり,検察に戻るのは難しくなったと感じた。しかし,後悔はなかった。
7 我が輩は下手である
札幌は,食べ物がおいしい。海の幸が満載だし,野菜も土地が肥沃なせいか美味しい。美人が多いので目の保養になる。しかも,排他的でなく,親切で温かみのある人が多い。
私と同時に異動してきたH部長とも相性が良い。本人が言うのは,あだ名はヒョウキンだそうである。頭脳明晰でゆとりがあるから自分を飾らない。そのH部長からゴルフをやらないかと誘われた。
私は,成人するまで身体が虚弱だったせいで,スポーツが大の苦手である。何せ跳び箱すら跳べたことが生涯一度もない。水泳も,泳ぎだしたらどんどん沈むだけであり,まともに前に進めない。体育の時間は,恐怖であり,恥ずかしかった。H部長が私を誘ったのは,H部長も運動オンチだからのようである。練習をしないでゴルフ場に行ったら,なかなかグリーンに乗らず,グリーンに乗ったらオーケーという感じだったそうな。私は,H部長と同等若しくはさらに運動オンチのようなので,下手が目立ちにくい。
私は,自己紹介も兼ね,いかにゴルフが下手か,どんな失敗をしたかを札幌法務局の局報に毎回書くことにした。漱石の作品をもじって「我が輩は下手である」という題名のエッセイである。これはすこぶる好評であった。上司であるH部長の下手ぶりも色々書いたので,部長には,「あんなことを書かせていいんですか」という報告が入ったらしい。しかし,鷹揚なH部長は一切気にしない。
私は,左遷はされたが,準備書面の作成などは,本省時代と同レベルの仕事をしようと思っていた。部付事務打合会というのが本省で年に一度ある。その時の意見は,本省にいたときと同程度のものを出そうと思い,調べ抜いて,激しい議論をした。古巣のS課長からは,「君の意見は本省と同じ意見だ」と褒められ,嬉しかった。
札幌は,三年いる予定だったが,二年目の暮れ,大阪地裁へという内示があった。検察庁出身の私が裁判所へ異動せよという内示である。
私は,評価してもらえたことへの嬉しさはあったが,同時に不安があった。任官してから既に一〇年以上経っている。判事補の経験をしないまま,いきなり判事への任官である。まともに仕事ができるのだろうか。また,大阪は人権意識が強く,判検交流には厳しいと聞いている。風当たりが相当強いのではないか。
--------------------------------------------------------------------
大沼洋一法律事務所
住所:
宮城県仙台市青葉区片平1−1−6 ネオハイツ片平201
電話番号:
022-796-8617
FAX番号:
022-796-8618
--------------------------------------------------------------------