法曹世界の珍道中 第6章 大学教授の世界
2024/11/29
1 法科大学院
S法科大学院の教授陣はそうそうたる面々であった。裁判官出身の中は,あの厳しく指導をいただいた仙台高裁の部長もおられたし,東京高裁の部総括出身の教授も複数おられた。切れ者の教授もおられた。
検察官出身の人はもっと凄い。東京地検の元検事正,名古屋高検の元検事長だった教授,元検事総長だった教授等である。
私は,キャリアからみて場違いの場所にいる雰囲気がした。
私の担当は行政法である。訟務検事時代の経験からそうなった。しかし,行政法を教えるころがいかに大変かが身にしみた。行政事件訴訟法という手続法の分野はまだいい。特定の法律の解釈論を教えればよいからだ。問題は,それ以外の行政法である。そもそも行政法などという法律はない。行政に関する法の総称が行政法なのだ。法全体の七割が行政法だとも言われている。行政法の大家である藤田宙靖先生は,他の法律が惑星だとすれば,行政法は銀河だと仰る。そこでは特定の法の条文解釈などをしても意味がない。いわば行政法全体という宇宙の法則を論じることになる。異常に範囲が広いのだ。
しかも,環境法の先生が辞めたことから,環境法も教えることになった。この環境法も,環境に関する法の総称をいうため,範囲は異様に広い。
要するに,行政法と環境法という二つの銀河についての講義をすることになったのである。
法科大学院における学生の質は実に多様であった。極めて優秀な学生もいた。東大時代はバンドに熱中していて勉強はあまりしなかったので上位校には入れず,大学に入った学生だが,とにかく頭が切れるし,洞察力がある。あまりの優秀さに舌を巻く。これに対して,同様に東大を出ているが,もの分かりが悪く,知識があるのに,論理的な文章が書けない者もいた。さらに下になるとそのレベルは際限なく下がる。
優秀な学生を司法試験に合格させるのはたやすい。しかし,優秀ではない学生を合格させることは困難がつきまとう。異常に広い行政法や環境法を理解させ,合格まで導くことは容易ではない。悪戦苦闘の連続であった。
ところが,教授になってから3年目に,理事長が法科大学院にやって来て,教授陣を集め,深刻な顔つきでこう語った。「2012年度から新入生の募集を停止したい。」
司法試験合格者を増やしすぎ,合格しても法律事務所に入れない人が大勢現れていた。そんな中でS大学法科大学院の司法試験合格者は伸び悩んでいる。毎年1億6000万円程度の赤字が出るという話も聞いた。経営が苦しいのは理解できる。しかし,Sグループは経営基盤がしっかりしているので耐え続けていくだろう。そう考えていた。まさか,入って三年目で募集停止の話が理事長から出るとは・・・。仲人口を信じた自分の愚かさに腹が立った。
翌年度のカリキュラムを決める時になって,大学のグループはつぶれることがないからと私を誘った教授がこう言った。「大沼さん。私は他の大学に移るから。ここの行政法は君に任せるよ。」同教授は,この大学法科大学院はいずれこうなることを見越し,その大学に移籍する準備を整えていたらしい。仲人口は本当に恐ろしい。
結局,私は,同教授が担当していた行政救済法の分野を含め,行政法の全てを教えることになった。教える範囲は益々広がったが,教える相手は数が急激に減った。
あるとき、研究室が突然揺れ、本棚の本があちこちから落ちた。かなり大きい地震であり、なかなか揺れが収まらない。慌てて事務室に行くと、東北地方に大きな地震があり、しかも巨大な津波が押し寄せているらしい。テレビで見る津波のすさまじさに目の前が真っ暗になった。仙台の家族は大丈夫だろうか。連絡がなかなかつかなかった。
仙台に向かう方法が見つからず焦っていたが、ようやくJRバスが運行することが決まった。私は、ホッカイロ、ガスボンベ、電池など思いつくものを用意し、仙台に向かった。幸い家族にけが人は出なかったが、沿岸部にいた親戚には命を落とした人たちもいた。
2 大学
募集停止後3年目に私は法学部の仕事をすることになり挨拶に行った。
もっとも、その時は、法科大学院は行政法、環境法の他、憲法も担当して欲しいと言われていた。その他に法学部の仕事をするとすれば、法科大学院と法学部の仕事が半々かと思っていた。
ところが、法学部の諸先生から、1年生から4年生まで講義やゼミなどたくさんの仕事があると言われた。会議日も毎週ある。土曜日も入試委員会とかのため潰れるらしい。これまで認められていた週1日の研究日もなくなる。私は、自分ができるキャパを超えていると思い、「法科大学院で行政法、環境法、憲法と、これだけの仕事があるので無理です」と説明した。すると、法学部の先生の面々の血相が変わった。十数名の先生方が一斉に大学の人事担当者に抗議をしに行った。そのドタバタが功を奏したのか、私は法科大学院の仕事を完全に辞めることなり、ホッとした。
法科大学院を去り,その大学の法学部の教授として仕事のみをすることになった。法科大学院はお茶の水にあったが,学部は埼玉県にあった。
ここでも本来の担当は行政法であった。この法自体,範囲が広い科目だが,学部ではそれ以外の担当範囲が広かった。
1年生には基礎演習として,漢字の書き取り,調べ方,レジュメの書き方,ゼミ発表の仕方などを教える。就職対策演習として,算数の四則計算,中学校の文章問題(旅人算,鶴亀算その他)などを教える。授業崩壊の現実を知ったのは,私のゼミ生の中にゼミの時間座っていられない学生がいたためだ。じっとしていられないから,しょっちゅう席を立っては他のゼミ生に話しかける。一番困ったのは,たまにパンツを脱ぐことだ。
私のゼミには女子学生はいなかったのだが,半年ほど女子学生がゼミに着ていた時期もあった。ゼミ指導の教授が嫌いなので面倒を見て欲しいと言う。ゼミ中は,私の似顔絵を描いたり,椅子に横になって寝ていたりする。本来のゼミに戻すまで一苦労した。
2年生には,先生によって違うが,私はディベートを教えた。三,四年生は,卒論の準備である。私のゼミは行政法のテーマを選ぶことになる。
行政法はもともと難しい科目なのに,ゼミ生のうち半数は行政法の講義を聴いたことがないと言う。書けるはずがない。ラグビー部のゼミ生をメディアセンター,つまり図書館に連れて行き,調べ物をさせる。私がどういう本を集めるべきか指示し,集めてきた学生を見ると,ハア,ハア言いながら肩で息をしている。私より体力が数倍あるのに何故息を切らしているのかと聞くと,「頭を使うと酸素を消費するので疲れるんです」と言う。日頃,いかに頭を使っていないかがよく分かる。
コピーをとらせて次週までに熟読してくるよう指示するが,次週に理解できたかと聞くと「全く分かりませんでした」と答える。
そこから卒論をまとめさせる苦労は並大抵ではない。
卒論の書き方を聞いてくる学生の中には,他の教授のゼミ生である女子学生もいた。その教授が怖くてゼミに出席できないので私に指導して欲しいのだと言う。仕方がないので,その教授の了解を得て,私が指導し,卒論を提出させた。
有名法科大学院に入るような優秀な学生もいたが,少数であった。
大学からの帰り道、夜間、青信号の横断歩道を歩いていると、私の左側から右折車が近づいてきた。一瞬立ち止まったがスピードを落としたので当然車は停止するものと思い、2,3歩歩いたとき、その車は速度を上げて走ってきた。私の左足がバンパーにはねられ、身体はボンネットの上、車は急停止し、私は転げ落ちて腰を打った。
近くにいた人がかけつけてくれた。車の運転手は「すみません、大丈夫ですか」と言っていたが、ヘッドライトのせいで顔はよくみえない。交番の警察官に通報してくれたらしく、まもなくして警察官が自転車でやってきた。加害者と少し話しをした後、私と私を助けてくれた人にところにやってきて事情聴取を始めた。すると、加害者は「ちょっと車を移動させていいですか?」と警察官に聞いた。警察官は、「いいよ、そこに駐車場があるから。あ、この件は人身事故として立件するからね」と言って承諾した。しばらく事情聴取をしていたが、加害者が一向に戻ってこない。「どうしたんですかね、加害者は」と誰かが言うと、警察官は慌てて自転車に乗り追跡を開始した。まもなく、本署の警察官がやってきて、私に、「加害者の車のナンバーはなんですか、車種は?」などと質問する。そんなの先ほどの警察官が聞いているはずじゃないかと不思議に思って聞いてみると、あの警察官は免許証も見せてもらってないし、ナンバーも控えていないとのことである。救急車で病院に運ばれ、自宅に戻る途中、「どうしますか、こういう場合は加害車両を見つけられないことが多いんですが」と言う。要するにあきらめてはいかがかという話である。私は、怒り、ファイスブックにこのことを書くと、弁護士たちから防犯カメラに写っている可能性があるから諦めるべきではないと言われた。そこで、警察にそのことを伝えると、防犯カメラでも、車が移動しているとナンバーまではきれいに写らないことが多いから難しいかもしれないと言う。そこで、ネットで調べると、そのような場合の解析ソフトとして「プレスリー」なるものがあり、警視総監賞をとったとのこと。証拠にするまでの精度はないが、捜査用としては十分に使えるそうである。そこで、警察に連絡すると、担当の警察官はプレスリーを知らなかったらしく調べてみるとのことであった。結局、プレスリーでも特定はできず、逃げられたままとなった。
交通事故にあったら、相手の免許証とナンバープレートを写真にとること、警察を信用してはいけないこと、が私の知り得た教訓であった。
3 研究論文
大学で教授をしていると研究費が出る。そして,研究論文を書くというノルマが課せられる。もちろん,理由をつけて書かないでいる人もいるが,評判は悪くなる。
私は,どんな研究をできるかを考えたが,通常の学者と異なる私の特徴は訟務検事や裁判官として裁判実務を経験していること,さらにいえば,行政法の学者は行政法しか知らないことが基本だが,私は民訴法や民法など様々な分野を勉強してきたことである。裁判実務を学者に通訳するようなことができないかと考えた。
行政法の教科書を読んでいてよく分からなかったことが三つあった。原告適格,違法性の承継,処分性である。
例えば,➀原告適格は法律上保護された利益侵害がある場合に認められるとされているが,法律上保護された利益とは何かについては書かれていない。
②違法性の承継は先行行為と後行行為とが相まって一つの法律効果が完成される場合に承継されるとされているが,言語明瞭,意味不明である。
③処分性はその行為によって直接国民の権利義務を形成し,又はその範囲を画定する場合に認められるのが原則だが,法律効果が発生しない行政指導にも拡張される場合があるとされている。しかし,拡張すべき論拠が不明である。
これらはいずれも非常に大きく,難しい問題である。どんな学者に聞いても,納得できる答えが返ってこない。私は,風車に向かうドンキホーテと呼ばれてもいいやと思い,謎解きにチャレンジすることにした。
幸い,東北大学の公法判例研究会,東大系の行政法研究会に籍を置かせていただいたため,これらにつき,両方の研究会で報告者として報告し,その批判を聞いた後,三つとも判例時報に論文として載せていただいた。
研究会では,藤田宙靖先生,塩野宏先生,小早川光郎先生,稲葉馨先生などがおられた。その他高名な先生も大勢おられたようだが,私は面識がないので,誰であろうと正面から声高に激論をした。面識がないことをいいことに,先生方にだいぶ失礼なことを言った。「そんなのは裁判所で通用しませんよ。」「古い議論です」「民訴の常識ですよ」などなど。今から思えば冷や汗ものである。
ともあれ,私の頭では,理解できなかったことが理解できるようになったと思っている。つまり謎がそれなりに解けたと思っている。客観的評価は不明だが,私としては,高名な学者の前で議論のうえ,法律雑誌に公表できただけで十分である。
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